■袴田死刑囚の執行停止要請:iza>>
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昭和41年に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(72)が拘禁反応による心神喪失の状態だとして、弁護団らは7日、死刑の執行停止と精神科病院などへの入院を法務省に要請した。
刑事訴訟法は死刑囚が心神喪失の場合、「法務大臣の命令によって執行を停止する」と規定している。
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事件は、約40年前の出来事である。
1966年6月30日、午前1時30分頃。
静岡県の「こがね味噌」製造会社の専務、橋本藤雄さんの家で火災が起きた。
焼け跡から藤雄さん、妻のちえ子さん、長男の雅一郎くん、次女の扶示子さんの4人が、死体で発見。
長女は別棟で寝ていたので、難を逃れた。
現場から油の臭いがしたため、放火と判断。
死体からは刀器による無数の傷があり、放火・殺人罪として捜査を開始。
メッタ刺しにされた死体の刺し傷は多く、正確な数は判らない。
焼け跡からは、クリ少刀が一本、発見されて凶器と見られたが、先端がわずかに折れていただけで、刃こぼれはしていなかった。
橋本家には多額の金品があったが、手付かずに残されていた。
警察の調査では、約八万円の金が奪われた、となっている。
【捜査】
橋本宅から東海道線を挟んで向かい側に、こがね味噌の工場があった。
その工場内の寮には事件当時、4人の男子従業員が宿泊していた。
そのうちの2人は相部屋で、火災発生と同時に現場に駆けつけた。
1人は近くの社長宅に、留守番に行っていた。
残る1人の袴田巌(当時30歳)は、パジャマ姿で消火活動に加わっているのを見た者がいるが、約20分ほどのアリバイが空白だった。
殺害された藤雄さん(当時41歳)は柔道2段で巨漢。
犯人はほかに3人も殺害しているが、30センチしか離れていない隣家では、悲鳴や物音を聞いていない。
これだけの犯行が出来るのは、元プロボクサーでもあった袴田以外にはいない、と思われたが、この時点では証拠が何もなかった。
7月4日。
専務宅と隣接していた「こがね味噌」の住み込みとして働いていた、袴田巌の部屋から、肉眼では見えない程度の血痕が付いているパジャマを押収。
そのパジャマからは、放火で使用された同種の油も付着しており、警察は8月18日に逮捕した。
【自白】
8月18日に逮捕されてから、自白する9月6日まで、厳しい取調べが行われた。
一日平均、12時間。
その間、水一杯も与えられなかったことがあった。
夜にはアル中患者を同房にいれ、夜中まで大騒ぎさせ、袴田の睡眠を妨げて疲労困憊させた。
犯行を頑強に否認していた袴田が、一転して自白したのは、勾留期限の3日前だった。
【公判】
9月9日。
静岡地検が起訴。
11月15日。
第一回公判で、袴田は起訴事実を全面否認し、以後、一貫して無罪を主張した。
公判で認められた供述調書は、45通のうち、たった1通だった。
1967年8月31日。
工場の味噌タンク内から、血染めの衣類が5点、入った南京袋が発見された。
終始、尾行されていた袴田が、これらをいつ隠したかは不明。
その数日後。
袴田の実家を家宅捜査した警察官が、ズボンの共切れ(仕立てたズボンの端切れ)を発見。
貯蔵タンクに入っていたズボンと一致する、という鑑定を下し、犯行着衣を変更。
冒頭陳述も訂正した。
1968年9月11日。
静岡地裁は死刑判決を言い渡す。
袴田は無罪を主張し、控訴。
1971年11月。
東京高裁で、犯人が着衣していたズボンの装着実験が行われたが、袴田には小さくて履けなかった。
検察側は、ミソ漬けになっていたので縮んだか、袴田が太ったのだと主張した。
1976年5月18日。
東京高裁で控訴を棄却した。
翌日の19日、上告。
1980年9月22日。
最高裁で第一回公判が開始された。
11月19日。
最高裁で上告棄却による死刑確定となった。
【後の動き】
1981年4月20日・弁護側、再審請求。
1994年8月9日・静岡地裁、再審請求棄却。
8月12日・弁護側、即時抗告。
2004年8月27日・東京高裁、即時抗告棄却。
9月1日・弁護側、最高裁に特別抗告。
2008年3月24日・最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月25日・弁護側、静岡地裁に第二次再審請求。
【供述調書】
公判では、強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で、44通の供述調書が認められず、唯一採用されたのが9月9日の、一通の供述調書だけだった。
認められなかった供述書には。
「事件当日の午前1時20分。
目を覚ました袴田は専務宅に行き、4人を殺害。
現金を奪っていったん、工場に戻り現金を隠した後、油を持って現場に引き返し放火した。」
午前1時45分頃。
隣家では窓から煙が入ったことで家事に気付いている。
約25分(午前1時20分から、隣家が家事に気付くまでの時間)で全てを行ったことになる。
こんな短時間で一連の仕業ができるとは考えられず、却下された。
【矛盾点】
当初の犯行時の着衣として、血の付着したパジャマは報道で「血染め」とされたが、鑑定では「人血と認めるが、血液型不明」というほど微量の血痕だった。
後に警察は「工場の味噌タンク内から、血染めの衣類が5点、入った南京袋」を発見し、犯行時の着衣をパジャマからズボンにすり変えてしまったが、自白には5点の着衣のコトは書かれていない。
凶器とされたクリ小刀は袴田のモノと断定させる根拠はなく、ほかに登山ナイフも発見されているが、触れられていない。
応接間のテーブルにはアイスクリームの蓋が8個あり、当時、複数の客人がいたことが予想される。
終始、尾行されていた袴田が、これらをいつ隠したかは不明であるし、不可能とされる。
奪われた現金も不明で、自白での殺害方法と被害者の死亡状況も合致しなかった。
供述調書で「犯行後、専務宅の裏木戸を開けて、味噌工場にある混合油を持ち込み放火した」とあった。
裏木戸の下側の留め金と、中央のカンヌキは外れていたが、上側の留め金は外れていなかった。
検察の言い分は「袴田が下側の留め金とカンヌキを外して出入りした」だった。
そこで検察側は、上側の留め金が掛かっていても出入りできる、という証拠写真を公判に提出。
しかし肝心の上側の留め金が写っていなかった。
弁護側が、この写真を科学的な分析に掛けてみると、上側の留め金を外して人が出入りした写真であることが判明し、捏造という結果に至った。
犯行現場から工場の寮までは、この裏木戸を使うのが一番の近道だが事件当時、裏木戸とは真反対の表口のシャッターが、鍵が掛かっておらず、その内側のガラス戸も開いている。
【事件当夜の行動】
従業員だった袴田巌は、仕事を終えて夕食を食べた後、工場の二階にある寮の自室に帰った。
同僚と将棋をさした後、テレビドラマを見て午前11時過ぎにパジャマに着替えて就寝。
消防車のサイレンの音で目が覚めるも、グッスリ寝ていたのでしばらくの間、ウトウトしていた。
隣の同僚の「店が家事だ」という叫び声で飛び起き、パジャマのまま自室を出て駆け降りた。
水をかけようと工場の中でバケツを探す。
同僚が「消火器、消火器」と大声で駆けてきたので、一緒に探したが見付からなかった。
消火栓に取り付けるホースを見つけ、同僚たちとホースの束を持って、事務室前にある消火栓に走った。
土蔵にある物干し台から屋根に上り、足を滑らせて落ちた時、ブリキか何かで左手の中指に怪我をする。
火事は20分ほどで鎮火。
消化作業中に水をかぶり、ずぶ濡れになった。
自室に戻った袴田は、中指の怪我の出血を止めるため、手ぬぐいを引き裂いて縛った。
消毒をしなかったので、後に傷跡が化膿し、医者に見てもらっている。
【参考】
:Wikipedia>>
:事件史探求>>
:無限回廊>>
:袴田巌さんを救う会>>
:袴田ネット>>
:たむたむ>>
:裁判官の良心 〜熊本典道 Blog〜>>
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2008年11月10日
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