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2011年08月06日

ダン・クーパー事件録

1971年11月24日。
アメリカの感謝祭前日であった、この日。

オレゴン州ポートランド空港にて、午後4時。
ワシントン発・シアトル行きに、経由地のオレゴン州ポートランドからノースウエスト航空(305便?11便?)で、男性が搭乗した。

スーツ姿にサングラスとアタッシュケース。
どこにでもいるサラリーマン風だったが、足元はスニーカーだった。

男の名は、ダン・クーパー。

午後4時35分。
乗員6名と乗客36名が搭乗した飛行機は、予定通り離陸。

目的地はシアトル。
飛行予定は、およそ1時間。

離陸して間もなく。
男性は、機内サービスの際に客室乗務員の女性に、バーボンを頼む。

その際、女性乗務員にメモを渡した。

その乗務員は当初、ナンパ目的で自宅の電話番号を書いたのメモだと思い、後で見ようと思ったのだが。
男性が「いますぐ読んで欲しい」というので、メモを開いた。

「爆弾を持っている。君たちはハイジャックされた」

男性は女性乗務員に「はやく機長に伝えるように。それと、バーボンも忘れずに」と指示。

連絡を受けたパイロットは疑わしく思い、男性の隣に座り「本当に爆弾を持っているのか」を訊ねると、アタッシュケースを開いて見せた。

中には赤い管と、導火線が見えた。

機長はすぐに、目的地であるシアトルに連絡。
乗客たちにはパニックを避けるため、ハイジャックの事は知らせなかった。

クーパーは、渡されたバーボンのグラスに指紋がつかぬよう、気をつけた。
実際、機内からクーパーらしき指紋は検出されなかったという。

クーパーの要求は、現金20万ドル(現在の価値で1億円)を要求。

当時のハイジャックといえば、キューバに亡命するなどの政治目的が主で、金目当のハイジャックなど、思いも寄らない事だった。

捜査員は、金目的が本当であれば、現金を受け取る為に飛行機から降りなければならないため、逮捕のチャンスは幾らでもあると踏んだ。
しかしクーパーの要求は、金だけではなかった。

もうひとつの要求は、パラシュート。
旅客機に乗っているのに、何の為に使うのか全く予想できなかった。

午後5時45分。
305便は定刻どおり、シアトル・タコマ空港に到着。

クーパーは要求のモノを手に入れたら指示を出す、とした。

機長は乗客に「現在、ターミナルが混雑しているので、しばらく機内でお待ち下さい」とアナウンスし、クーパーからの指示があるまで、乗客を外へ出さなかった。

要求のモノを準備した捜査員は、スワットチームと共に機体を取り囲むように待機。
隙があれば突入し、射殺命令も出された。

要求されたものはクーパーの指示により、航空会社の社員が運搬。
外への受け取りは、女性乗務員に行かせた。

クーパーは中に誰も入れるなと指示し、誰かが入ったら爆弾を爆破すると脅した。

要求したものを確認したクーパーは、乗客全員と乗務員2名を解放。
乗客はようやく、自分達が人質にされていたことを知った。

午後7時40分。
305便は再び離陸。

クーパーは機長に、メキシコに飛ぶように指示。
メキシコの先にはキューバがある。

しかしメキシコまで飛ぶには、燃料が足りない。

ネバダ州にある、リノ空港で給油をさせてくれと機長が申し出た。
リノならメキシコ方面にあるので、目的地が大きくそれる心配はない。

クーパーは、給油を受ける代わりに条件を出した。
(注釈・最初からリノを要求していたという記述もあり)

FBIは、シアトル近くの空軍に協力を要請。
二機の戦闘機がスクランブル発進し、旅客機を見失わないよう後方から追尾した。

午後8時頃。
クーパーは乗務員全員を、コックピットに入らせ、そこから絶対に出るなと指示。

自分は客席に戻った。

午後8時13分。
轟音と共に突如、機体が大きく揺れた。
機内の圧力が、どんどんと低下。
揺れが納まっても、機体の不安定な状態は続く。

午後10時15分。
なんとかリノまで到着。
機長は、クーパーに「指示を聞きに来た」と言って、クーパーの様子を伺いに行くことにした。
副機長も、一緒に同行した。

だが、クーパーの姿は何処にもなかった。

機内を調べると、機体の後方になる非常用タラップが開いていた。
途中の機体の揺れは、このタラップが飛行中に開いたせいだった。

当時のボーイング727型旅客機は、飛行中でも人が手動でタラップを開けることの出来る構造になっていた。

タラップが降りたまま着陸したのを、地上にいた捜査員も目撃したが、そこから誰かが降りてくるのは、目にはしなかった。

クーパーは要求したパラシュートで、上空から飛び降りた…としか、考えられなかった。


通常、スカイダイビングでは時速300キロで飛行している。
305便の通常速度は、時速960キロほど。
この速度で飛び降りると、風圧で体に酷いダメージを負う。

更に旅客機は6000メートルから1万メートルの上空を飛行する。
このような高度から飛び降りると、マイナス20度以下の気温や、酸素の薄さで命の危険がある。

そしてクーパーが飛び降りた時間は、午後8時頃。
夜間の上に、当時の天気は曇。
視界は最悪である。

追跡していた空軍は夜間のため、飛び降りたクーパーを確認できなかったほどだ。

だがクーパーは金を奪い、旅客機から消えた。

ダン・クーパーという名前は偽名。
唯一の手がかりは、目撃者から聞いた似顔絵。
サングラスの横から覗く目元の印象から、サングラスを外した似顔絵も作成された。


FBIは当初、事件当日か数日後には、死亡しているだろうという見解を出した。

スカイダイビングの高度も速度も、通常では考えれらない状態。
夜間で曇という悪条件。
この状況では生きていないだろうと思った。

だが、シアトルからリノに向かう途中。
給油をさせる条件としてクーパーが提示したモノは、計算されたものだった。

車輪は、常に降ろして飛行すること。
フラップは出したまま。
高度は約3000メートルを維持。

車輪を降ろしたままだと空気抵抗を受け、速度が出せない。
フラップは、離着陸のときに翼の面積を増やして、低速でも失速しないようにするための装置。

このフラップを出したままにすると、やはり空気抵抗を受けて速度が抑えられてしまう。

この条件で飛行していた旅客機は、この時。
高度3000メートルを、時速320キロで飛行していたのだった。

車輪やフラップを出したまま高度を上げると、車輪やフラップが凍りつき、機体に不具合が生じる恐れがあるため、高度を上げることは出来なかったのだ。

更にクーパーはフラップの角度を、15度にするように指示。
この角度にセッティング出来るのは、ハイジャックされたボーイング727型だけであった。

これにより、スカイダイビングの条件は天候と装備以外、ほぼ整ったことになる。


FBIは飛行速度や時間、場所などからクーパーが着地したであろう場所を、ワシントン州にあるセントへレンズ山と推測。

大捜索を行なったところ、旅客機のタラップについていた注意書きの切れ端が発見された。

更に捜索を行なったが、クーパーに繋がるものと思われるものは、何も見つけることが出来なかった。

捜索班を更に拡大したが、それでも痕跡を見つけることは出来なかった。
死んだとすれば遺体とパラシュート、お金があるはずだが、それも見つからなかった。

奪われたお金のシリアルナンバーを記録していたが、そのお金が市場に出回ることもなかった。

遺体が見つからないため、世間では「クーパーが生きている」と言われるようになった。
彼のパラシュート逃亡を模したTシャツが作られ、ヒーローのように騒がれた。

事件後の乗務員の記者会見で、「紳士的な態度で、暴力を振るうようには見られなかった」という印象が元だと思われる。

クーパーの名をつけたバンド、TV映画なども作られた。
毎年、ハイジャックのあった日にクーパー・デイと称したパーティまで行なっている町もあった。

そして警察には、「自分がクーパーだ」と名乗る人物が続出。
捜査本部は全てを調べ上げたが、どれも愉快犯だった。


その中のひとつに、有力な情報があった。
自分の夫が、ダン・クーパーであると申し出た女性がいた。

フロリダに住む彼女の夫の名は、ダン・ウェーバー。
不動産業で財を成した人物だという。

夫は、クーパーが着地したと思われるセントヘレンズ山を歩いているとき。
ここに来ると昔の古傷が傷むと言い、膝を押さえた。

更に夫の書斎で、引き出しの中からポートランド発・シアトル行きチケットの、古い半券を見つけた。

夫は「忘れるんだ」とだけ言った。
その夫も、バーボンが大好きだった。

夫に出会ったのは、事件から5年後。
真面目に働く優しい夫に、彼女はクーパーの影など見なくなった。

しかし数年後。
夫は思い腎臓病を患った。
みるみる衰弱して行き、死の淵で。

「最後に、どうしても話しておきたい。
僕は、あの飛行機に乗っていた。
ポートランド発、305便。
膝の古傷は、旅客機からパラシュートで飛び降りた時のモノだ。
僕は、ダン・クーパーなんだ」

それから間もなく、夫は亡くなった。

FBIは即、裏づけ操作を開始。
身代金は裏社会でマネーロンダリング(資金洗浄)されて、不動産業の資金にしたのではないかと考えた。

しかし調べていくと、夫人の話が疑わしい事に気がつく。
裏づけの取れない話ばかりで、何の証拠もなかった。

目立ちたがり屋で、見栄っ張りであるという噂もあり、作り話の可能性があった。
夫人の話を完全否定することは出来なかったが、何の証拠も出なかったため、ダン・ウェーバーは容疑者から外された。

容疑者として注目された人物は、他にもいた。

夜間訓練に精通している軍人なら、パラシュートの逃亡も可能ではないか、と捜査員たちは考えた。

その条件に見合ったのが、リチャード・マッコイ。
同じくハイジャック犯として捕まった彼は、グリーンベレー所属のエリート軍人としてベトナムに赴き、その任務が爆発処理班。

その上、ベトナムから帰還したマッコイは、スカイダイビングのインストラクターをしていたのだった。


当時、アメリカではハイジャック事件が相次いでいた。

事件の翌年、1972年だけで31件。
そのうち15件が、大金を奪いパラシュートで逃亡するという、クーパーの模倣犯だった。

しかしクーパーとは違い、犯人はすぐに逮捕されるか、射殺されるかだった。
成功したのは、リチャード・マッコイだけだった。

マッコイはハイジャック事件から五ヵ月後。
ジェームズ・ジョンソンの偽名で搭乗。

スーツ姿にスニーカー。
彼が乗り込んだデンバー発ロサンゼルス行き855便は、クーパー同様、ボーイング727型機。

マッコイは離陸後、すぐにハイジャックを告げるメモを見せ、爆弾で脅迫。
現金50万ドルと、パラシュートを要求。

現金の受け渡しは、機内に他の人間が入ることを許可せず、受け取った後に乗客を解放。

乗務員を乗せたまま再び離陸し、全員を一箇所に閉じ込め、クーパーと同じように細かい指示を出した。

そのまま後部の非常用タラップからダイブした。

マッコイは犯行の際、クーパーと同じ種類のメモを使用しており、その情報は当時、公開されていないものだった。

つまり犯人でなければ知りえない情報だと、FBIは睨んだのだ。

だがマッコイとクーパーにはひとつだけ、違いがあった。
クーパーは犯行時、指紋を残さないよう細心の注意を払っていたが、マッコイは指紋を残してしまった。

座席の新聞を触ったのだ。
その指紋から、マッコイは逮捕。
45年の実刑が下された。


クーパーを目撃した人たちも、マッコイはクーパーに非常に似ていると証言した。

マッコイ=クーパー説は状況証拠ばかりで、裁判で認められない可能性があるため、FBIは徹底的に調査した。

その頃、獄中のマッコイは脱獄を企てていた。

名門私立大学の出身だったマッコイは、看守より読み書きが出来たため、刑務所内の歯科治療室でカルテの整理などを任されていた。

そこで歯形を取るときなどに使用される石膏を盗み出し、手先の器用な囚人に渡した。


出来上がったのは、ピストルの模型。
それに色をつけ、銃に見立てた。

1974年8月10日。
脱獄の際に目をつけたのは、毎週土曜日の朝に来るゴミ収集車。
収集車がやってくるとマッコイは、偽の銃で看守たちを威嚇。
車を奪い、刑務所のゲートを一気に突破した。

FBIは即、全米に手配書を送った。

逃亡したマッコイは、バージニア州の家で囚人仲間と潜伏。
目立たぬ暮らしをしていたが、情報屋からのタレコミで、買い物から戻ったマッコイを、FBIが待ち伏せしていた。

脱獄から三ヵ月後の1974年11月29日。
マッコイは射殺された。

1980年2月。
クーパーが飛び降りたとされる、ワシントン州のセントへレンズ山を流れるコロンビア川にて。

キャンプに来た家族がコロンビア川で、300枚の20ドル札の束のまま埋まっていたのを発見。

ナンバーから、クーパーが奪った紙幣と一致した。
捜査員は、クーパーの他の痕跡を探ったが、他には何も発見されなかった。

紙幣は捜査に協力していた、考古学者が科学的分析を行なったところ。

その紙幣は、クーパー事件のあった1971年ではなく、1974年以降に埋められたか、もしくは流された可能性があることがわかった。

事件から3年後に、何者かによって持ち込まれたことになる。

1974年というと、リチャード・マッコイが脱獄した年だった。
だがマッコイがは脱獄後、バージニア州で囚人仲間と潜伏しているはずだったし、ワシントン州に足を踏み入れてないことも確認された。

2001年。
FBIは機内から、クーパーのものと思われるネクタイを発見していた。
当時は何の手がかりにもならなかったが、そこにDNAが付着していることが判明した。

2011年8月3日。
オクラホマシティー在住の女性が、ダン・クーパーは自分の叔父であると、実名で名乗り出た。

女性はABCテレビで、ダン・クーパーは1999年に死亡した叔父のリン・ドイル・クーパーだと証言。

事件当時、女性は8歳だった。

事件当日。
クーパー氏は負傷し、血を流してオレゴン州のマーラ家を訪れ、「金の問題は終わった。飛行機を乗っ取った」と話したという。

現金の殆どは降下した際に紛失。
その後、マーラーさんの両親も、同氏がクーパーであると明かした。

マーラーさんはFBIに、同氏の写真とギターストラップを提供。
FBIは現在、照合作業中との事。

【参考】奇跡体験アンビリバボー




posted by 隠密 at 03:29 | ラスベガス ☀ | TrackBack(0) | 事件・事故
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